ロスタイムライフ

憂鬱と煩悩

サウナと祖父と僕。

 僕が風呂屋に行く習慣がついたのはまだ幼稚園の頃、祖父に連れられて通っていたいまは無き亀有サウナだ。

 祖父は厳格でまさに昭和の父親像そのもので、すごくおっかない存在だと思っていたがサウナ屋に連れて行ってくれる時は喜んでついて行ったのを今でも覚えている。

 

 それはついていくとジュースが飲めるからだ。

 何を飲んでいたかは記憶にないけどそれが楽しみでついて行ってたし、祖父も僕の手を引き一緒に行ってくれていた。

 

 しかし小学校中学年になるとジュースを飲む事より友達と公園に行きたい方が強くなり、次第にサウナについていく回数は減っていった。

 中学生にもなるとサウナの存在などすっかり忘れ、いつの間にか亀有サウナも閉店していた。

 そこから祖父はサウナにも趣味のヘラブナ釣りにも行かなくなり、徐々に家に篭るようになった。

 


 転機が訪れたのは僕が高校を卒業するタイミング、祖父は胃がんで余命半年の宣告を受けた。

 それからというもの、祖父はどんどん弱って行った。体は動かなくなりトイレに行くことすらままならなくなっていた。あんなに厳しかった祖父の姿はもうそこにはなかった。

 


 そして祖父は死んだ。祖母と母親と偶然その日来ていた叔母さんは泣き崩れていた。僕は身内が死を迎えることが初めてで、ただ呆然としていたのを覚えている。父はひたすらに毅然としていた。

 告別式で僕は死ぬほど泣いた。泣き崩れた。人前であんなに泣いたのは物心がついてから初めてだった。

 それからというもの僕はどうせ人間は死ぬんだから適当に生きようと思い、毎日色んなことをした。人には言えないような事もしたし、闇に飲み込まれそうにもなっていた。

 その頃から嫌な汗を流しにサウナに通いはじめた。祖父の面影を少しでも感じたかったのかもしれない。

 

 祖父の一周忌、僕は真っ当に生きようと祖父に決意した。

 様々なものを辞めたがサウナにいく習慣だけは辞めなかった。

 そして昨年から草加健康センターに入り浸るようになり、たくさんの先輩達ができた。

 その先輩の一人がよく行っていた他のサウナ屋があり、しかも近所だったので興味本位で足を踏み入れた。それが銀河だ。

 食堂で僕は思いがけない出会いをする。 オロミルクだ。

 


 僕が幼稚園の頃亀有サウナで飲んでいた飲み物だ。 オロミルクを一口飲んだ時様々な記憶が蘇り泣いてしまった。

 家に帰り父にこのことを話すと祖父も、そして父も銀河にたまに通っていた事を知った。

 

 銀河が閉店する寸前、父と二人で銀河に行った。 何を話したか何を感じたかもはっきりは覚えていないが確かに僕にはサウナの血筋が流れていたんだなと感じた。

 


銀河が閉店してもう半年以上経つ。銀河のビルは残ったままで、実はやってるんじゃないかとか思ったり、猛烈に銀河に行きたくなることが未だにある。


サウナが流行し、たくさんのユーザーが増え、サウナで自己顕示欲を満たす輩やサウナとビジネスの関係とか言い出す奴がいたり、訳の分からない奴が出てきたりうんざりする事も増えてきた。

 サウナはみんなの物と言い切ってしまうのもいいかもしれないが、おっさんのものだと思う。僕の祖父のような。


祖父が死んでからもう少しで丸五年が経つ。今のサウナブームを祖父はどう思っているのか、仏壇に供えてあったオロナミンで作ったオロミルクを飲みながら考えている。

僕がそっちに行ったら二人でオロミルク飲もうね。